【細川政元、一色義有を攻撃】 永正4年(1507)5月11日細川政元が武田元信と連合し丹後阿弥陀峯城に守護一色義有を攻める。【三好之長自刃】 永正17年(1520)5月11日三好之長が細川高国に捕らえられ、京都百万遍にて自刃する。【倭寇が朝鮮を襲撃】 天文24年(1555)5月11日倭寇が朝鮮全羅道...繼續閱讀
【芥川氏、細川高国に降る】 永正17年(1520)5月10日摂津芥川城主芥川長光が細川高国に降る。また細川澄元が摂津伊丹城より阿波勝瑞城へ戻る。【松平元康が駿府を出陣】 永禄4年(1560)5月10日 今川義元の先鋒松平元康が尾張に向け駿府を出陣する。【三村家成、沼城攻略に失敗】 永禄9年(1566...繼續閱讀
【大和で土一揆蜂起】 明応9年(1500)5月9日大和で徳政を要求して土一揆が蜂起、古市澄胤が自領内に徳政令を出す。【幕府が訴訟手続きを制定】 永正6年(1509)5月9日幕府が訴訟手続きの条規七箇条を定める。【晴信、内山城を攻撃】 天文15年(1546)5月9日武田晴信が大井貞清の拠る信濃内山城に...繼續閱讀
【小早川正平戦死】 天文12年(1543)5月8日月山富田城から退却中の大内方沼田(ぬた)小早川正平が尼子軍の追撃を受け出雲鴟巣(とびのす)川で戦死。享年21歳(日付は5/9とも)。【朝倉延景、剣大明神社領を安堵】 天文19年(1550)5月8日朝倉延景(後の義景)が剣大明神社領を安堵する。【狩野光...繼續閱讀
【大内義隆、月山富田城攻略に失敗】1533年5月7日大内義隆が尼子晴久を出雲月山富田城に攻めるが敗れる。【元就七騎落ち】1543年5月7日月山富田城攻めに出た大内軍が味方の離反により尼子軍に敗れ退却、毛利元就も命からがら吉田郡山城に逃げ戻る。【信玄の生母死去】1552年5月7日武田信玄の生母大井夫人...繼續閱讀
【晴信が前山城へ】1546年5月6日武田晴信が信濃佐久郡前山城に入る。【中院通勝誕生】1556年5月6日歌人として知られる権中納言・中院通勝が生まれる。父は通為。【三好長慶と細川晴元が和睦】1561年5月6日三好長慶と細川晴元が和睦し、晴元は摂津富田普門寺に入る。【畠山義綱動く】1568年5月6日畠...繼續閱讀
【洛中で印地打の際に多数の死傷者】1496年5月5日京都・洛中で端午の節句の伝統行事・印地打(いんじうち)の際に多数の死傷者が出る。【細川高国、三好之長を破る】1520年5月5日細川高国が三好之長を等持院付近で破り、之長は曇華院に隠れる。【島左近生まれる】1540年5月5日信憑性には問題があるが、『...繼續閱讀
【足利義晴死去】1550年5月4日室町幕府第12代将軍足利義晴が近江坂本常在時で歿す。享年40歳。【六角氏が徳政令】1567年5月4日近江六角氏が徳政令を発す。【木崎原合戦】1572年5月4日伊東義祐が島津方川上忠智の守る加久藤城に攻め寄せ、援軍の島津義弘と飯野川原で戦うが大敗する。【相良長毎誕生】...繼續閱讀
【信濃騒擾に幕府が介入】1509年5月3日信濃における伴野・大井氏の争いに幕府が介入、関東管領上杉顕定らにこれを和解させる。【晴信、佐久郡侵攻へ】1546年5月3日武田晴信が信濃佐久郡侵攻に向け躑躅ヶ崎館を出陣する。【三好長慶、将軍義輝を追い出す】1558年5月3日三好長慶が将軍義輝を摂津尼ヶ崎に圧...繼續閱讀
【大崎・葛西両氏が伊達稙宗側に加担】1543年5月2日大崎義宣と葛西晴胤が伊達稙宗に同調したため、晴宗がこれを攻める。【信長、朝倉義景の密使を捕らえる】1572年5月2日朝倉義景が三好義継に発した密使が信長方に捕らえられ、一条戻橋で焼き殺される。【織田信孝自刃】1583年5月2日織田信孝が兄信雄に追...繼續閱讀
【九条政基、日根荘に村定めを言い渡す】1504年5月1日元関白九条政基が泉州日根荘の百姓に三ヶ条の村定め(村法)を言い渡す。【細川高国、瓦林是高らを討伐】1511年5月1日細川高国が瓦林対馬守政頼に命じ、細川澄元方の瓦林是高らを討たせる。【道三、土岐頼芸を追放】1542年5月1日斎藤道三が美濃国守護...繼續閱讀
【吉川元春、温湯城を攻撃】1558年4月30日吉川元春が石見温湯城の在家に放火、飛び火して小笠原長雄の居館が炎上したため長雄は籠城する。【信長、朽木越えにて京都に到着】1570年4月30日織田信長がわずかの供回りとともに朽木越えをして京都に到着する。...繼續閱讀
【浦上村国が三石城を攻撃】1519年4月29日赤松義村の将浦上村国が宍粟範高・浦上村宗を備前三石城に攻め、範高は播磨上月城に敗走。【後奈良天皇践祚/松平広忠誕生】1526年4月29日第百五代後奈良天皇が践祚(せんそ=皇位を受け継ぐこと)。またこの日松平広忠が生まれる。徳川家康の父。【細川晴元、堺を奪...繼續閱讀
【香西元長が堺衆と衝突】1497年4月28日細川政元の家臣香西元長が堺の町衆と衝突、堺の町が火に包まれる。【近衛前久邸焼ける】1557年4月28日洛中立売町で火事が起き、近衛前久邸が焼ける。【佐竹義昭が長尾景虎に出陣を要請】1560年4月28日佐竹義昭が長尾景虎に関東の情勢を報じて出陣を請い、景虎は...繼續閱讀
【細川政元、一色義有討伐を画策】1506年4月27日細川政元が若狭守護武田元信に加勢し、丹後守護一色義有を討たそうとする。【細川政元、一色義有を攻撃】1507年4月27日細川政元が澄元・三好之長・赤沢朝経らを率いて丹後守護一色義有を攻める。【上杉朝興死去】1537年4月27日武蔵国司の扇谷上杉朝興が...繼續閱讀
【山科言継誕生】1507年4月26日後の権大納言で『言継卿記』の著者・山科言継が生まれる。【前将軍義稙が堺へ】1508年4月26日細川高国・畠山尚順らに迎えられて流浪の前将軍義稙が泉州堺に入る。【清原父子が越前へ】1543年4月26日名儒清原宣賢・枝賢が越前に下り、朝倉孝景に拝謁する。【筒井順慶が家...繼續閱讀
【赤松政則死去】1496年4月25日播磨・備前・美作三国の守護赤松政則が播磨国加西郡坂田の長円寺にて病没。享年42歳。【備中勢が薩摩へ報復】1521年4月25日三宅国秀殺害の報復に、備中の兵船が薩摩坊津を焼き払う。【呑竜誕生】1556年4月25日「子育て呑竜(どんりゅう)」の異名を持つ浄土僧・呑竜が...繼續閱讀
【三好範長が高屋城を攻撃】1548年4月24日三好範長が畠山政国を河内高屋城に攻め、後に和睦する。範長は長慶と改名。【尼子晴久が大山寺再築】1554年4月24日尼子晴久が焼失した伯耆大山寺の再築工事を始める。【信玄、駿河から撤兵】1569年4月24日武田信玄が駿河から撤兵する。【秀吉、英賀城を攻略】...繼續閱讀
【姉小路基綱死去】1504年4月23日公家の従二位権中納言姉小路基綱が飛騨で没す。享年64歳。【村上義清、葛尾城を一時奪回】1553年4月23日村上義清が高梨政頼の援けを受け信濃葛尾城を急襲、守将於曽源八郎を討ち城を一時奪回するが、程なく城を逃げ出し再び潜行する。【毛利元就が吉田郡山城に凱旋】155...繼續閱讀
【細川藤孝誕生】1534年4月22日細川藤孝が京都東山・岡崎に生まれる。父は三淵晴員。【大友宗麟、龍造寺勢と戦う】1570年4月22日大友宗麟が立花道雪・高橋紹運を先手に佐賀攻めに出陣、龍造寺勢と高尾で戦う。【大和郡山城の天守閣完成】1583年4月22日筒井順慶の居城大和郡山城の天守閣が完成する。ま...繼續閱讀
漫畫43